「あるべき身体」を作ろう
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- Category : 音楽演奏障害
岐阜県瑞穂市 田上接骨院院長
身体コンサルタント 田上耕三です。
このコラムでは、楽器演奏特にピアノの演奏と、身体の使い方について考察をしていこうと考えています。言うまでもなく、音楽は芸術でありますから、最も大切なのは演奏者の音楽性であることは間違いありません。楽曲の理解という理論的な部分と、演奏者の感情を融和させて一つの音楽が誕生する。人の思いというのは十人十色ですから、人によって演奏が変わり、訴えるものも変化する。それが音楽の醍醐味なのだろうと思います。
しかし、音楽は芸術であるけれども、音色に影響を与えるのは、第一には演奏技術であることもまた事実です。技術がなくとも人の心をとらえることが、もしかしたらできるのかもしれません。事実、レスナーの皆様の中には、生徒さんの未熟な音に「はっ!」と心動かされたという経験がおありの方も多いと思います。
そんな時、「“音楽は芸術”、心があればこんな未熟な子でも感動を与えられる」と考えてしまいます。果たして、そうでしょうか。この点について、私は非常に懐疑的に考えています。
稽古事というのはとても面白いもので、一心に考え努力していると「ふっ・・・」っと素晴らしい結果を誘発することがあるのです。1000回の練習でほんの1~2回も有るでしょうか。とにかく、それほど稀ですがそのような結果が出ることがあるのです。
私は、少林寺拳法を習っておりました。高校生の時ですが、「乱取り」稽古といいまして、実戦さながらの試合形式の稽古をしていた時のことです。相手は大学生で、その大学は全国の強豪校です。乱取りという非常に特殊な稽古では、身につけた型がおざなりになってしまうものです。ブルースリー(香港カンフー映画の神様)のような、変則的な動きになることが多いのです。もはや、少林寺拳法ではないといっても過言ではありません。当時はぴょんぴょんとこまめに動く方が、機動性が高いと思っていました。今でもテレビでK-1とか格闘技系の試合を観ていると、やはりせわしなく動いていますから、今でもそのような考えに立っているのかもしれません。私も、ぴょんぴょん跳ねて乱取りをする一人でした。
ある時、件の大学生と乱取り稽古の時、私は「ふっ・・」と動きが止まりました。その刹那「スッパーーン!!」と私の前足の蹴りが相手の胴に極まりました。先生が「うまい!!!」と叫んだのを今もはっきりと憶えています。当時の少林寺拳法の防具は剣道の「胴」を装着するだけのものでした。裸足で、剣道の胴を蹴ったことがある人ならわかると思いますが、上手に前足底(背伸び立ちの時に立つポイント)で、相手との間合い(距離)がドンピシャでなければ、「スッパーーーン」という音はしません。「ぺきっ・・」という音がした時は、その場で離脱したくなるほど、蹴った方が痛いのです。
会心の一撃を、私たちは、「無意識の拳」と呼んでいました。あの時、自分自身も「スッパーーーン」という音で気づいたのです。極まったんだと。その瞬間の相手の表情も「はっ!・・・・」とあっけにとられた顔をして、自分の胴に一瞬目を落としておられました。攻撃側も、受け手側も双方とも、あっけにとられた瞬間でした。あれから、そのイメージを持ちつつ何度も稽古しましたが、あの予備動作が皆無だった蹴りを再現することはできませんでした。
武道の世界では、このような稀に出る“会心の一撃”というのが、確かに存在します。しかしそれは、実力というものとは少し違うものです。無意識の拳が出るほどに稽古をしなければ、無意識の拳はでません。無意識の拳の前には、無数の稽古の存在があるのです。
未熟な生徒の音に感動したのなら、それは「無意識の打鍵」に心動かされた瞬間であり、ある意味では間違いなく最高の音なのかもしれません。その頻度を上げたければ、やはり練習あるのみとなります。
河村先生の愛弟子の先生が、「間違った答えを憶えても、それは間違いなのよ」とおっしゃられたことを思い出します。「間違った練習を百回やっても、間違いなのよ」ということなのです。私たちの身体は、解剖学的にはだいたい皆同じと思って差し支えありません。ですから先生ができることは、生徒もできるはずという考えが成立します。あとは、あなたの努力次第よ。
果たして、そうでしょうか。私は、腰痛を訴える幼稚園児、児童をたくさん見てきました。身体の作りは同じでも、運動能力が同じと限りません。身体の硬い子柔らかい子、スタスタ歩く子とドタドタ歩く子、ジャンプ力の有る無し、いろんなタイプがあります。
それらのタイプを無視してレッスンをすることは、学ぶ方からすれば非常に迷惑なことになります。「あら?なんでそんな風に指がへこむのかしら」とか、「なんで、もっと早く指が動かないのかしら?」「何でこんなにくぐもった音になるのかしら」といわれても、身体が違うのだから仕方がないことなのです。全員が同じようには上手くなれません。
ピアノを弾く以前に、演奏ができる身体なのかを知ることが大切です。河村先生と私は、演奏に適合した身体を「あるべき身体」と考えています。現在のあなたの身体の現状を見極めた上で、悪いところを改善させれば、あるべき身体となって上達は一気に早まります。動かない筋肉を動かないままの状態で、動かせというのは土台無理なのです。それよりも、動かない筋肉を動く筋肉に変えてから、練習すれば練習効果も上がるというものです。
このコラムは、演奏に特化しながら筋肉を動く筋肉に変えるための方法を考えていく場であります。河村義子先生に様々なタイプを見せられ、治療してきた結果の集大成になる予定です。演奏者になるためのあるべき身体を目指し、一緒に楽しみながら、身体を改善させて行けたらなと考えています。
是非、楽しみにしてください。
體暢心愈静